人間塾と私4.
猿渡啓太さん(塾生/第9期)
多摩美術大学3年在籍

何も答えられず、落ちたと思った入塾面接。
私は、画家である祖父と、美大出身だった母から薦められて、人間塾のことを知りました。塾の紹介資料を読んでも、最初は正直なところ活動理念が当たり前に思えて、独自性が分からなかったのですが、母の話の中にあった、「自分の弱点を叱ってくれ、厳しく鍛えてもらえるこんな機会は、なかなかない」という言葉だけは印象に残りました。今から思えばそのような経験の必要性に、本能的に自分で気づいていたのかもしれません。また、私にはもう一つの動機がありました。入塾前にすでに1年間、美術大学で作品の制作を続けていましたが、自分の作品には何か一貫した軸のようなものがないと感じていたのです。デザインをする以上、誰かのためにデザインをして、何かを伝えたいと漠然と思っていましたが、一体それは何なのかとも。自分であれこれ考えるうちに、人間塾に行けばその軸のようなものや、自分が何のためにデザインするのか見つかるような気がしたこと。それも私の入塾の志望動機でした。そして入塾面接の日が来ました。いろいろな質問に緊張して答えた後で仲野塾長に言われたのは、「この人、尻尾出さなかったで!」。それから、「こんなに早く面接を終えた人は初めてや!」。後から考えるとたぶん、自分の中身の無さがバレないように取り繕っていたから、十分な言葉が出てこなかったのだと思います。その日の帰り道、今日の面接の状況から、もちろん合格はあり得ないとあきらめました。ですから後日、合格の通知が届いた時には、本当に驚いたのを覚えています。
自分と向き合うことから、逃げ回っていた私。
こうして一度はあきらめた、私の人間塾での活動が始まりました。すでに書いたように私には、自分を鍛えてもらうために自ら人間塾に飛び込む心の準備はあったはずでした。しかし、その厳しさは自分の想像をはるかに超えていました。塾長から面と向かって、自分が課題を先送りする癖や、自分の明確な主張を持てないといった弱点や欠点を厳しく指摘されて怒られると、気持ちが萎縮してしまうこともありました。そして、それに向き合うのが辛くて無意識のうちに逃げ出していた自分がいました。ある時、仲野塾長に「あんたはウナギや!」と言われたことがあります。捕まえて諭そうとしても、すぐニュルッと逃げ出すからウナギだと。自分でも思わず納得してしまいました。そんな自分の転機となったのは、人間塾ではよく使われる「使命」という言葉について、私の中で非常に大切なものだと理解し始めたことでした。自分が生まれてきた意味とか、何のために自分は生きているのかといった、今までまったく考えたことのなかった課題に、しっかりと向き合って自分で考えてみなければいけない、という自覚が生まれたのです。

ある日、自分が生まれてきた意味を考え始めた。
この大きなテーマについて、仲野塾長はセミナーでいろいろな人物を取り上げながら、「この人はこの使命のために生まれてきたのではないか」という具体的な分析とともに、分かりやすく説明してくださいました。そのおかげで、それなら自分にも生まれてきた意味があるはずだと自然に思え、考え始めたのです。考え始めたら、今度は引き返すことができなくなって毎日考え続けていたのですが、この過程で自分なりに深く確信を持てたことがひとつあります。それは、生きるために、何かをするために一番大切なのは、まず何を目的・目標・目指す場所にするかということ。今までの自分にはそれが無く、ただ眼の前の事だけで生きてきたのが自分でも恐ろしく、また恥ずかしく感じました。そして生きる意味と同時に、私の場合にはなぜデザインするのか、何のためにモノを作るのかという、入塾当初から持っていた課題と自然に重なっていきました。その結果として、最近では自分がモノをデザインする時、なぜこれを創るのかという、従来の自分に最も抜けていたことを、深く考えるようになりました。

人が楽しく上品に食事ができることを意識してデザインした作品名「pigna」
大学の友人とは関係性が違う、人間塾の仲間たち。
仲野塾長の存在と並んで、自分に大きな変化を与えてくれたもう一つの要素が、他の塾生の存在と彼らとの対話です。人間塾にはさまざまな大学の学生が集まってきていて、学んでいることもみんな違います。仲間の歩んでいる違った人生を知り、私は狭かった自分の視野や考え方を大きく広げることができました。しかし、それだけではありません。美術大学の友人ともよく話しますが、一番多い話題はお互いの日常や作品に関してのこと。一方、人間塾で共に学ぶ仲間とは、お互いの人生や悩みについて、大学の友人とは話せないようなことを真剣に語り合うことができます。同じ仲野塾長に学びながら、自分はなぜ生きているのかという課題や、いつか自分の能力を活かして人のために仕事をしたいという思いなど、大きな共通部分を持っているため、そんな深い話まで自然に腹を割って話せる関係になっているのです。このような稀有な同年代の仲間を持てたことで、以前は自分にない眼を持つ人の意見で驚かされるのを嫌い、人の意見を積極的に聞かなかった自分が、人の意見を聞けるようになったのは、とても大きな変化でした。

探していた本物の「恩師」に、ここで出会えた。
私が美術大学に入学する時、画家である祖父からアドバイスされたのが「恩師を見つけるといい」ということでした。「知識や技法を超えて、人生について教え語り合ってくれる、自分の生き方の道しるべとなってくれる恩師を」と。ところが大学に通い始めて、そんな強い結びつきをもてる先生は、大学では望めないことを実感しました。しかし何という幸運か、私はその「恩師」に大学ではなく、この人間塾で巡り合うことができたのです。仲野塾長と出会って、祖父の言っていた「恩師」とはこういう先生のことをいうのだな、とすぐに分かりました。人間塾の真ん中にあるのは、「自分が与えてもらった多くのことを、今度は誰かのために惜しみない心で行っていける人になる(恩送り)」という考え方です。もしかするとその言葉に触れただけでは、ふと聞き逃し、読み飛ばしてしまうかもしれません。しかしこの「恩送り」を本物の覚悟をもって、毎日全身全霊で実践している「恩師」に実際に出会えれば、まさにいま私が経験しているように人は必ず変われます。いつかあなたが人間塾に出合い、私と同じように仲野塾長という「恩師」と巡り合えることを、人間塾の一塾生として心から願っています。
今回の特集、いかがでしたでしょうか?
彼らのように、人間塾で仲間と出合い、
一緒に学んでいってみたい方は、
井上和子スカラーシップに
是非ご応募ください!
皆様とお会いできる日が来ることを願い、
楽しみに致しております。