ヤングセミナー
【レポート】人間塾2025年度第9回ヤングセミナー
2025年8月6日
2025年7月31日に、第9回目のヤングセミナーを開催いたしました。今回は、「ネガティブ・ケイパビリティ」を題材にお話をしました。10月に開催予定の塾生主催のシンポジウムでも、このテーマは語られることと思います。今回は一足先に、塾生たちと「答えのすぐに見つからない事柄を前にしても考え続け、答えを探し続けること」の重要性を話しました。
レポーターは第14期生の中村董子です。是非ご一読ください。
塾長・仲野好重
人間塾第14期生 中村菫子
(中央大学法学部2年)
去る7月31日、第9回ヤングセミナーが開催されました。今回のセミナーは、机を円形に並べディスカッション形式で行われました。題材は「ネガティブ・ケイパビリティ」でした。これは10月4日に塾生が主催するシンポジウムで議論される予定のテーマでもあります。
まず塾生たちは、英国の詩人ジョン・キーツが弟に宛てて書いた手紙を読みました。この手紙は、「ネガティブ・ケイパビリティ」の意義について、初めて言及されたものとして知られています。ここでは、ネガティブ・ケイパビリティは「短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑の状態の中に、人が留まることができる時に見いだされるもの」と説明されています。今の時代、インターネットで検索をすればすぐに何らかの「答え」を得ることができ、SNSに何かを投稿すればすぐに反応を得ることができます。しかしこの世の多くの事柄には明確な答えなどなく、重ねてきた努力は必ずしも実になるとは限りません。すなわち、多面的な問題から一面を切り取るのではなく、その複雑さを直視し、考え続ける能力(ケイパビリティ)が世のために働く人間には必要不可欠だと思いました。
次に塾生は、ドイツの哲学者であるハイデッガーが提唱した「ゲラッセンハイト」という概念を用いて考えを深めました。この単語は「手放す、放下する」という意味ですが、ハイデッガーはこの状態を「我々にとって不確かさや不可解さ足り得るものの中に、物事がそのままあるにまかせることを可能にする精神の自由さ」と考えました。確実性や合理性に固執する人間の人生は、窮屈で不幸なものです。不確かなものの中にあっても、ありのままを味わうことができる人は幸福です。思い通りにならない現実を受け入れ我執を手放し、心の自由を得てはじめてネガティブ・ケイパビリティを持つことができるようになると思いました。
塾長の解説を踏まえて、セミナーの最後に、塾生たちはそれぞれに考えたことを分かち合いました。現代社会の在り方や自分の苦悩した経験にネガティブ・ケイパビリティを照らし合わせた意見が交わされました。その中で、楽な方向に流されるのではなく、学び続け、思考し続けながら、進むべき道が示されるその時を待つという生き方の意義深さが共有されました。
私は塾生の意見に塾長が返された、「薦められた一冊の本や、なんとなく赴いた場での出会いといった予測がつかないものが人生にとって大きな意味をもたらすことがある」というお話が胸に残りました。
私には「よく死ぬことは、よく生きることだ」という忘れられない言葉があります。これはある日ふと手に取ったルポルタージュで出合った言葉です。私は漠然と人生から逃げたいと思っている子どもでした。しかしその願望を自覚し、人生という答えのない問いについて思索する子どもでもありました。このように、自分のありのままの気持ちを受け止め、答えがなくとも考え続けていたからこそ、この言葉との出合いの大切さに気付けたのだと思います。
多様な人々が暮らすこの世界では、物事は複雑に絡み合い、一筋縄ではいかないことばかりです。しかしそのことを受け入れ、思考し続ければ、偶然の出会いから自分の進むべき「道」が見えてくるのだと思います。現実から目を逸らさず、ひとつひとつの出会いを大切にしながら、歩むべき道を求め続けて参ります。





