講演会
【レポート】人間塾2025年度 第二回目東京講演会
2025年11月18日
去る2025年11月9日に第二回目となる人間塾東京講演会を開催いたしました。会場にお越しくださり対面でご参加くださる方々、またオンラインでご参加くださる方々もおられ、にぎやかな講演会になりました。今年度、私は講演会の全体テーマを「風に心を開いて生きる」といたしました。これは、世界的な物質主義重視の流れから、目に見えないものを感じ取る感性が大切な時代に、大きく方向性が変わってきたからです。今回は、そのような背景の中、シモーヌ・ヴェイユの思想をエッセンスにしてお話しいたしました。
今回のレポーターは、第14期生の中村菫子です。是非ご一読ください。
塾長・仲野好重
人間塾第14期生 中村菫子
(中央大学2年)
去る11月9日、人間塾塾長による第二回東京講演会が開催されました。今年度のテーマは「風に心を開いて生きる」です。講演では、シモーヌ・ヴェイユの思想を中心に「自己超越と精神的重力の拮抗」について考えました。
シモーヌ・ヴェイユは、第二次世界大戦前に生まれ、戦争のさなかに亡くなったフランス出身の女性思想家です。彼女は批判的思考力に優れ、強い信念を持ち、哲学の教授資格を持ちながらも、思考だけではなく体験をも重んじた人物でした。政治活動や革命活動、そして工場での労働といった様々な体験を経ながら、彼女は内面的な省察を日記に残していくようになります。また、彼女はユダヤ人家庭に生まれながらも、様々な宗教に対して開かれた考え方を持っていました。亡くなる数年前からカトリックへの傾倒が見られましたが、洗礼を受けることなく亡命先のイギリスで没しています。
日々の省察の中で、ヴェイユは「重力」と「恩寵」という二つの概念を重視しました。「重力」とは、人間の本能、欲望、社会的圧力、暴力など、人を下へ引きずり落とそうとする力のことを指します。人は何も意識せずにいれば、この精神的な重力に引っ張られて生きていくこととなります。
他方で「恩寵」とは、大いなるもの(神)から与えられる上昇力のことを指します。人間は、自然のまま(意識しないまま)でいると下向きの重力に引っ張られるため飛翔できませんが、この「恩寵」が与えられることで上方へ飛翔することができる、とヴェイユは考えたのです。
仲野塾長は、「恩寵」を受け入れるために、三つのポイントを示してくださいました。
一つ目は、「注意」という姿勢を持つことです。これは、心を空しくして、心の中を空っぽにすることで、ただ目の前の事柄に対して受容的であろうとする姿勢のことです。二つ目は、耐え難い「苦悩」の中で自身の無力さを理解することです。理不尽な状況を前にして謙虚になることで、恩寵を受け入れる可能性(余白)が開かれるのです。三つ目は、最終的に恩寵の有無は、「神の自由」に全てが依存するということです。恩寵は人間が要求するものではなく、ただ大いなるものから与えられるものであり、そこにおいて私たちは「待つ」ことだけが許されています。
そして、この恩寵に対する姿勢は「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方と結びつくと塾長は仰いました。人生に数多く存在する「すぐに答えが出ない問い」に直面する中で、人は迷い苦しみ、自身の無知さを思い知らされます。その時、人はただ謙虚にならざるを得ず、人事を尽くして問いと向き合ったのちは、「待つ」ことのみが許されます。このあり方はヴェイユの思想と通じるところがあり、人生を生き抜いてこそ、後から振り返ると見えてくるものがある、というお話でした。
これらの考えとは対照的に、昨今の社会では正しい答えをすぐに出すことが求められます。これらの正解と思われていることの多くは、数字に表れる事柄が多いのも事実です。実際にこれまでの私も、即座に答えを出す力を伸ばす教育を受けてきました。しかし真に必要な力は、自分にはどうしようもできず、答えも簡単には出せないことばかりがこの世界には存在しているという現実を受け入れる「受容力」です。
私は大学生になり、自立した大人として集団に関わらなければならない機会が増えました。その中では思うようにいかないことが数多く起きます。その理由は、一人一人の価値観に違いがあり、簡単に正解を見つけることができないからです。時には衝突し、逃げたくなることもあります。しかし、それではヴェイユの言う「注意」の姿勢を持つことはできません。人との衝突も私に何かの意味をもたらしてくれる、ひいては全てのことには意味があると信じ、日々最善を尽くして生きていこうと志を新たにしました。





